コロナ禍の今こそ、渋沢栄一の「論語と算盤」から学ぶ

はじめに、渋沢栄一はどんな人でどんなことをしたのでしょうか?


実は私自身はお恥ずかしい話、次回の新一万円札の顔となることが決まるまで、渋沢栄一の功績のほとんどを知りませんでした。
大河ドラマ「晴天を衝け」の放送も始まったことも併せ、私同様に彼の功績を知るところなった方も多いのではないでしょうか?

 

渋沢栄一は1840年(天保11年)、現在の埼玉県深谷市で農家の息子として誕生しました。
24歳の時にのちの徳川慶喜となる一橋慶喜に仕えることとなります。33歳で当時勤めていた大蔵省を辞し、第一国立銀行(現みずほ銀行で日本最古の銀行)を設立し、銀行や鉄道、建設業など500以上の会社の設立や運営に携わりました。
76歳で実業界を引退した後は民間外交や教育、福祉、医療等に注力していき、91歳でその生涯を終えるまでエネルギッシュに活動し続けました。

 

つぎに、なぜ今渋沢栄一なのでしょうか?


渋沢栄一が、今改めて注目されるのは、ひとつに「大転換期を生き抜いた」ことにあると思います。少年期は幕末の激動期で過ごし、28歳のときには明治維新を迎えています。

様々な変化が求められる現代の私たちにとって、新型コロナウイルス襲来はまさに「大転換期」といえます。大転換期の最中にある私たちにとって、渋沢栄一の生き方から学ぶことは多いと感じます。
またひとつには、渋沢栄一がこの時代にして「人生100年時代」を見据えたキャリア形成を体現してみせたことにあるのではないかと思います。

豪農に生まれながら、武士へ、そして役人をあっさり辞めビジネス界へ。まさに華麗なる転身です。
いずれの時代も渋沢栄一の判断のよりどころは常に「論語」でした。

 

そんな彼の著作「論語と算盤」を現代語訳で読んでみました。
経済と道徳は一見相反するように思えますが、渋沢栄一の著書では「論語」の道徳観をもって事業にあたれば豊かな社会が築けることが説かれています。
彼は著書の中で、「道徳を説いているからといって利殖を求めてはいけないとうことでないのであり、道理にかなって得た利益なら問題ない」と説いています。


半面、「道理正しい仕事でなければ長続きしない」ともいっています。

渋沢栄一の公益優先説に従っていれば、日本のバブル経済崩壊やアメリカのリーマンショックなど起きなかったかもしれません。

彼の理念は現代でいうところのサスティナブル経営そのものです。今こそこのサスティナブル経営が必要であると感じています。


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群馬県よろず支援拠点 コーディネーター 江崎 真奈美